今年も沢山の励ましのお言葉ありがとうございました。苦しいシーズンでしたが大切な時間になったことは間違いありません。

さてさて、前回プロスポーツの良さを書くと言っていたのですが、その前に、こちらの件を話しておきたいのでこちらから書くことにします。

私が海外を旅してきて、また色々な文化に触れてきた中で、自分の中の宿る日本の良さについて思っていることを話します。

先ずは私の大切にしている事を話させて頂きます。私が大切にしている事は様々な事柄に余白を生むことです。そして私は日本の良さはこの余白にあると思っています。

余白とは何か。

一般的に言われている日本の良さは、謙虚である、控えめな人柄等々だと思います。もちろんその他にも色々とあるとは思いますが今回は日本の心という方面で話を進めさせて頂きます。
これらの謙虚さや思いやりには全て余白が存在し、その余白に自分の持ち合わせているものを埋めて初めて形となるものだと思っています。

謙虚な人が謙遜していても、その人の謙遜さにある余白に、自らで埋める力が無ければ本当に何も出来ない人にしか映らない。

おもいやりもそうです。受け取り手の技術によって気付かない事が沢山存在し、形にならなかった思いやりも数多くあることかと思います。

もちろん謙虚である、思いやりがあること自体にも徳を積むという素晴らしさはあるのですが、その根本にはいつも余白が存在しているということです。

人の見る目が変わったり、その人の大きさにふと気付かされたり、また単純に好きや嫌いにでさえ多くの影響を与えているのではないかと感じています。

この余白こそ、自らに違いを生む人間味というものなのではないかと思っています。

私はその心を大切にしていて、これこそ日本の強みなのではないかと思っています。数ある余白に自分は今どのくらい気付く事ができるのか。どのくらい埋めることが出来るのか。その思いはいつも自分を成長させ、いつも自分を見つめ直させてくれているかと思います。

ですがこの余白は大きさを増すごとに、人は臆病になり、見えなかったはずのものは判断をも鈍らせます。

自分の追い求める豊かさは自分を締め付けるものではないはずだと悩みながら、ようやく少しだけ道が見えてきた気がします。

もしかしたら、この余白がもっとも輝くとき、それは人が何を残したいのか選択するときなのではと感じています。

昨年に得た記録は数多くの認知を得て自らの道を証明してくれました。

ですがこれらの記録で自分は豊かになったのではなく、この過程の中で得た余白が自らに違いを生み、より良い物を残していける幅を与えてくれたのではないかと思います。これは知識や常識などを指しているものではありません。

豊かさを追い、違いを求めるうちに本来楽しみであったはずの道を探すという楽しみを少しずつ見失っていたのかも知れません。

だからこそ今はこの余白を追うのではなく、もう一度もっと自由にやってみても良いのかと思っています。

自分の歩んできた道と背景やらを今は色々と背負い込みテニスでの意味を求めてきましたが、そうではなくただ単純に新しい道を見てみるだけでも良いのかと。

もう少し時間がかかってしまうかも知れませんが着実に取り戻していきたいと思っています。

なぜならこの世界にはまだまだ素晴らしい道があると思っているからです。そして、そこに広がる余白だけはそこに行った者にしか広がらないと思っています。

2019年も素晴らしい一年になるよう頑張りたいと思います。